お世辞でない長所を見極め、伝えられる技術を磨こう
人は使う言葉で人生の幸不幸、仕事の成果など全てのことが大体決まる。もちろんこれは営業の現場でも適用される。顧客に対してどんな言葉でどんな内容のことを話すかは営業成績を大きく左右するだろう。
アメリカ大統領のトランプの言動を観察すれば、このことが良く分かる。彼は習近平にお世辞を言い、金正恩を宥めすかす言葉を並べて外交を有利に進めている。
もちろん国力があるからこんなことができるのだろうが、元々の姿勢がそうであろう。北朝鮮の金正恩は小国だからこんなことは知らないが、習近平も同じ手口を使う。
そんな言葉を受けた金正恩や習近平はしかし嫌な気持ちにならなかっただろう。外交辞令とは分かっていても、それで外交がおかしくなるわけはない。
女性が美貌を褒められると「嘘でも嬉しい」と言っている言葉を時々聞く。もちろん醜女にそんなことを言うと逆効果になるが、普通の容貌の女性はこの言葉に喜ぶ。
だが本当に効果的な言葉はもっと巧妙である。
人にはどこか長所や得意にしている技術、能力あるいは出自がある筈だ。それは出身大学かも知れないし、旧家の出である可能性もなくはないだろう。
有名大学を出た人の長所はやらなければならない事を間違いなくやる能力を有し、約束は必ず守るということだ。これは長所に違いない。
もし相手がそんな人ならそれを上手く褒めることである。これはお世辞とは違う。お世辞とはその人が持っていない能力などに関して真実とは関係なく吐く言葉である。しかしその言葉が真実を表している場合は相手を高める効果的な言葉になる。
マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子氏がコーチだった小池監督にいつも褒められていたので、苦しい練習にも耐えられたし、本当に自分がオリンピックで金メダルを取れるかも知れないと洗脳されたのは有名な話しだ。
アメリカのさる会社と取引をしていた時、NO.3の営業部長に苦情ばかり言っていた。
だから私を煙たがりあまり好かれてはいなかったが、NO.2の人に褒めてやってくれと言われたので、その通りにした。
するとそれから仲よくなり、日本に仕事で来たときも友好関係を保てていた。大きな領土を持つ国、アメリカ、ロシア、中国などに住む人はお世辞に弱い。
日本人はお世辞に弱いと思っている人も多いだろうが、これは誤解だ。アメリカ人はもっとお世辞を歓迎する。お世辞のことを英語では「kind word」=「親切な言葉」と称するくらいだから、その効果も分かるというものだ。
電車に乗り、向いの座席に座っている男女を見て褒め言葉を探すのはその練習になる。中にはなかなか見つからないこともあるが、それでも見つける努力をする。
余り話しが得意ではない人は「おしとやかですね」、普通の容貌の人には「知性が奥から滲み出てくる」、背の高い人には「スタイルが良い」など何とか相手を褒める言葉を探す。
ビジネスの現場ではそんな言葉は的外れだから違う言葉を用いなければならない。ある小さな銀行の支店長と担当者を連れて飲みに行った時、私は「支店長のような威厳のある人が役員になってもらえば我々客としても鼻が高い」と褒めた。
その明くる日、その銀行は我が社に3000万円の融資を決めた。担当者は支店長の決定に呆れていたが、社会とはそんなものなのだ。融資をしてくれとは頼んでいたが、そのためのデータなど全く提出していない。担当者が単に我が社の特徴を話しただけだった。
その支店長はちょっと上から目線の人物で仕事上の能力はあまりないと睨んでいた。だから威厳があると褒めたのだが、それはぴったりとその支店長の心を捉えたらしい。
女性と飲みに行くと酌をしてもらいたい。そんな時は「やはり女性にお酌をしてもらうと酒の味が違う。白魚のような指と武骨な手では心理的に味が変ってしまう」。そんな趣旨のことを言えば良い。
ここで文章に書けばなんと気障だと思われるかも知れないが、酒席では精神も緩む。こんな歯の浮くような言葉も許されるかも知れない。
行動様式もそうだ。
テレビで皇室の女性が頭を下げて礼をしているのを見た。確かに優雅であんな態度を取られると相手は一も二もなく気持ちを持っていかれてしまうだろう。
皇室や貴族は生まれてからそのように行動し、厳選した言葉を使う練習をしているのだ。そのメリットを我々も貰おうではないか。