輸入貿易会社、社長の仕事術

経営46年の経験・知恵が詰まった集大成ブログ

創業2社目の大きな転機

創業 その6

初めて作ったこの会社は1975年に創業して、1992年に営業を売却した。その時には社員もそのまま売却先の会社に移籍したので、買い取った会社はとても楽に引きつきができたはずだ。   

ただこの会社は円滑に運営されていた業務を少しずつ崩壊させ、私が去った6年後にとうとう倒産してしまった。このことは悪い例として後で詳しく述べるつもりだ。

 

この時の売却資金が手許に相当残ったので、私はまた新しい会社を創設した。

今までの業務を再度運営してはならないとの契約があったので、今回は全く仕事のない出発だった。

ただ資金はあるので、日々の生活に困ることはなかった。ただ毎日やることがない。知り得る限りの人を尋ね、アメリカのエージェントなどにも知恵を出してもらい、1年後には何とか3種類の業務を発掘、それを運営することにした。

最初の会社を始めた時の資金は3万円。二回目は1億円。しかし1億円の資金があっても結局はたいして役には立たず、ただ資本金がそれだけあるということにしかならなかった。

どんな小さな資金でも会社を興し、利益を挙げることができる証拠を掴んだのだ。今考えると必要なこの点あまり心配する必要はない。自分がしっかりしていればどんな状態からも会社は興せ、利益を生むことができる。

会社を創業することに成功しても新しい事業を始めるのは創業するのと同じくらいの困難を伴う。業界の考えかたやり方も違うし、新しく参入した業界ではこちらは新参者で、名前も売れていない。

いままで業界にあった旧い考え方を一掃して客が目を見張るくらいのやり方をするか、価格を下げるか、根気よく客になってくれそうなところを訪問するか、何かしないと新しい業界に根を張ることができない。

ある日営業マンと千葉にある会社に扱い商品の小さな機械を売りに行ったことがあった。さんざん粘ったので、その会社の社長は少し買ってやったらと担当者に言ってくれたが、担当者は意固地な人物で、どうしても買ってくれない。

 

しかしこれが大きな転機の切っ掛けになった。

担当者曰く「あなたの会社は輸入ができるから、サーフボードを制作するのに使用する顔料を輸入して売ったらどうだ」と売先の情報までくれたのだ。

そこで教えてもらった会社に出向き、業界の状態を聞くと、輸入してくれる会社の供給体制が整わずに困っている。あなたのところで供給してくれないかという願ってもない話し。

そこで早速供給元をアメリカに探して、輸入を始めた。そしたら訪問した会社の仕入係はその全量を購入してくれ、さらにもっとほかにも材料を輸入してくれないかとの要請を受けた。

サーフボードを制作するにはもちろん色んな材料が必要だ。その全部をリストアップして全て輸入して、在庫も持った。今まで供給していた会社は2,3社だが、客のことをあまり考えなかったので、我が社は無風の荒野を行くように売上を伸ばしていった。

一番基本になるのは心材。元はバルサという軽い木でできていたのだが、それが特殊なプラスティックになって、唯一のメーカーはアメリカにある。そこともコンタクトを取って供給をし始めたが、客は非常に細かなところまで指定してくる。

今までの供給元はそんな注文の仕方に応じていなかったと見えて、我が社がその要求に応えているとその材料の市場シェアは60%に達した。

 

創業するにも新規の業界に参入するにも何か新しい手法を取り入れることが肝要である。

少しでも先が見えれば交渉の仕方によって、銀行はいくらでも融資してくれる。今は融資先がない状態なので、昔よりもっと簡単な筈である会社などは銀行からお金を借りて欲しいと言われて困っているという。

私は銀行の人と親しく付き合ったので、内部の情報がある程度持っていたのだが、それによると新規に貸し出し可能な会社と取引が開始できるのは3ヶ月に1社くらいらしい。今はもっと少ないだろう。だから資金は何としてでも調達できる。

新規の業界の作り方と銀行取引の詳細については項を改めて、経験談を踏まえて、詳しく話すつもりだ。