輸入貿易会社、社長の仕事術

経営46年の経験・知恵が詰まった集大成ブログ

勘定科目、反対科目、貸方、借方の由来

これらの言葉は中世ヨーロッパである程度の意味はあるが、恣意的に命名されたヨーロッパ語の日本語訳である。江戸時代の経理は単式簿記で行われていたが、明治時代になって西洋式の経理システムが輸入された時、このような経理用語も同時に輸入され、使用されるようになった。

従って言葉そのものは理論的に解釈できるわけではないので、ある程度は暗記しなければならない。だが丸暗記はすぐに忘れるものである。そこでほんの少しでも意味があるならそれを頼りに覚えるのが効率的である。

物々交換の時代

物々交換が経済システムを支配していたころはこんな簿記や帳簿を付けるシステムは当然ない。しかしこちらが手に入れたい商品と相手が欲している商品は違うことも多いし、手に入れたい時期も違う。

物々交換の時代、山の民と海の民がそれぞれ自分たちの領域で生産できない商品を交換していたのであろう。山では獣の肉や果実、山菜が確保できるし、海では魚が取れる。それらを交換することから経済活動がスタートしたと考えて良い。

だが海では魚は種類こそ違うがいつでも漁労できるが、山では獣が取れない時もあり、冬場には山菜が収穫できない。だからそれら産物は交換の対象にならない時期もあっただろう。

現金

それに鹿一匹と鮭一匹では価値が違う。それらの不都合を解消するため物々交換の相手との合意の元に貨幣が作られ、必要に応じて貨幣と産物の交換が始まった。

ただ物々交換は最初比較的近隣に住む人々の間でしか行われなかっただろうから、最初の貨幣の流通範囲も限られていた。それが権力者の仲介の元で範囲が広がると利便性が高まった。

貨幣はそんな交換の仲介をする目印であったが、誰にでも模倣ができるものでは役に立たない。貨幣は商品と交換するものだから、商品の価値と等価でなくてはならない。

だから貨幣は権力者のサインがあるものや、貨幣を作る材料が貴重なものに限られた。これは今でもそうだ。貨幣が確実に交換できなければ貨幣としての価値はないので、見捨てられる。だから初期の貨幣は金や銀、産出がまれな貝、巨大な石などを材料にした。

だが石などは持ち運びに不便であるし、貝は産出量が少ないから大きな需要には対応できない。そこで権力者の証明のある紙幣が発明されたのだ。

だが権力者はいつまでも権力者ではない。権力者が民衆から排除される暴動、革命が起こると元の権力者が発行した紙幣は紙屑にしかならないこともあったと考えられる。

経済が未熟な時、紙幣を増刷すれば商品が手に入ると考え、紙幣は必要量以上に増刷されたことだろう。それがインフレの始まりで大量の紙幣を持ち込まないと小さな商品も購入できない事態も出来したと想像するのは難くない。

貨幣は現金と同義語である。現金はその券面に印刷してある額と同額の商品と交換ができる。近年経済システムが安定するとこの現金は基本的価値を持ち、従って人はこの現金を得るために働いたのだ。

しかしこの現金を持ち運ぶのも案外不便だ。確かに権威はあるが、それも権力者に権威に基づくものだから、それに代わる経済権威者が紙幣に変るシステムを考えることもある。

それに現金は盗まれる危険があり、より高い利便性が求められる。多量の現金を持つものは比較的小さい額を持つ者の現金を預かって上げる。大きい現金を持つ者はその力で小さな軍備を持つことができ、預ける方としては安心である。必要に応じて預けた現金を返還してもらえば良いのだ。

預金

これが銀行の始まりだ。そういう銀行に預けた現金はもう自分の手許には形がない。その状態の財産は預金と呼ばれる。経済は信用によって成り立つものだ。金や預金はない人は物を手にすることができない。

より権力すなわち信用のある人や団体が発行する紙幣はより高い価値がある。違う紙幣と紙幣が交換される時、この信用度合が秤計りに掛けられ、交換比率が決定される。

信用状態が高い銀行にある預金は現金と同一視されるので、現金と同様な価値があるので、これらをひっくるめて現預金と現在では称する。